自分なんかは、推しの心身の健康、推しが健やかで幸せであることが我々みたいなオタクにとっては何よりも優先される事項として思っている、「ただ相手が生きているだけでそれでいい、それで十分…!」なんだけど
自らの個人的な欲求、エゴをそれらよりも上に置いて、自分の思い通りに相手をコントロールしようとして、それでいけしゃあしゃあと「○○推しです!」と宣う人々が自分には素直に驚きとして映る
このへんは結局Vをどういう目で見ているかというか、何を目的にVを見ているかというところにも関わってくるところだとは思う、Vを(あるいは、配信者を)心を持った一人の人間ではなく動物園のオリの向こう側の見世物の「一匹」として考えている人もいるんだろうとは思う
何も「これがVを推すということだ!」みたいな思想を押し付けようってんじゃなく、ただただ不思議だという話
思うに、自分が世界の中心なのは当然というか、自分以外は全員NPC、だから自分は人様に何をしても構わない、どういう口を利いても構わないという思想なのかなあ、そして、これは人生今になってようやく気付き始めてきたんだけど、そういう物の考え方をする人たちの数っていうのは思ったよりもだいぶ多いんだなあと
青い鳥のアプリとかでパブリックサーチをしていると時々まあ嫌でも目に入るんだよね、目ン玉飛び出るようなのがさ
「○○(某V)はゲームをやれば毎度グダりにグダってコメの指示待ち、配信を盛り上げようという気概がない、配信者としての向上心が足りない」とかね
黙ってブロック押してサヨナラするんだけどもさ
内容の妥当性云々を差し引いても、キミは配信者というエンターテイナーにエンタメを提供してもらってる側と違うの?と
それも向こうはボランティアだぜ?よくもまあメシを食わせてくれた手を噛めるもんだね(How dare you bite the hand that feeds you?)と
指示厨/自治厨とか全肯定民/杞憂民とか、いろいろあるけど、全部同じことですよ キミタチには推しに干渉する力も権利もない 推しとかなんだとか関係なく、他人に干渉して他人をコントロールしようとすることをすべきじゃない
ぼくは人類に対してそこそこな頻度でこれになります |
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