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2019/07/21

映画「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」試写会感想

※ごちゅうい※
記事の一部にネタバレを含みます!
ネタバレなしのまっさらな状態で見たい方々向けの簡潔な感想は記事の上部にまとめてあります。気にする方はそこまで読んだらブラウザバックなりなんなりでどうぞ。ネタバレを含む記述に関しては記事の下の方に押し込め、またその箇所は黒塗り文字で書いてあります。そのようにしてください。



おはユア~(気さくな挨拶)
2019/07/16, 映画「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」の試写会に行ってきました。今日はその感想をまとめていきます。

私自身はDQシリーズ、特にDQ5の大のファンボーイです。また、ビデオゲームというものそれ自体に対しても強く執着しています。これまでの自分の人生はビデオゲームとインターネットに生かされてきた人生であり、今後もそうあるであろうという確信があります。そういう人間の視点からの感想となります。

その上で言うと、残念なことにこの映画はコアゲーマー、DQファン、特にDQ5ファンには大手を振ってオススメできる作品ではありません。DQ5という一つのゲーム、一つの物語、一つの作品への思い入れが深ければ深いほどに「裏切られた」気持ちも大きくなってしまうだろうと思います。ストーリーの改変やキャラの設定変更がその理由の一つです。
しかしそれでいて、評価点もあるのは事実です。ビアンカとフローラを筆頭に魅力的に描かれるキャラクターたち、それに負けず劣らず"魅力的な"ゲマ、美麗な映像と秀逸な演出…「DQ5の世界を豪華な映像で見たい!」ということであれば、期待に正直に答えてくれる作品です。
DQ5を昔一度だけプレイしたことがある方や、そもそもビデオゲームそのものにそこまでの思い入れがない方であれば、真っ当に楽しめる作品だろうと思います。もしDQ5が人並み以上には好きであるという自負がある方は、あまり期待はしすぎないほうがいいかもしれません。この映画を楽しむ上で「DQ5のファンである」という事実は有利にも不利にも働きます。その上で尚どうしても気になるというのであれば、物は試しにと劇場に足を運ぶのをあえて止めることはしません。



※ここより以下の記述はネタバレを含みます。
一応黒塗り文字の中身さえ見なければ致命的なネタバレはないとは思いますが、本当に何も知らない状態で見たい方にはオススメしません。
映画本編上映前に中継で流れた完成報告会見では「SNSその他に感想はガンガン上げてもらって構わないが、『結婚相手はどちら?』と結婚後の展開のネタバレはダメよ」とのことだったので、ネタバレの基準はそこに設定します。




































以下ネタバレあり感想、Pros and Cons方式で。
Pros欄はネタバレほぼなしです。

Pros
・兎にも角にも、クリアまでに20時間程度はかかるボリュームの作品を、100分弱の映画としてまとめ上げたところ
- ここは評価してしかるべき部分と思います。当然カットされたシーンや設定の変更も多いのですが(詳しくは後述)、原作で重要あるいは印象深いシーン、筋書き上避けては通れない部分はきちんと描かれており、「ドラゴンクエスト5」の映画として必要最低限の部分は一通り押さえています。
ちなみにストーリーはSFC版やDS版以降のものでなくPS2版準拠(幼少期にフローラとの出会いがある、結婚相手にデボラがいない、ゲマがイブールでなくミルドラースの手先石化役がジャミでなくゲマ)。

・映像全般
- 背景をはじめとした美麗な映像表現、特に人物やモンスターのモデリングは素晴らしい出来。キャラクターの衣服や装飾品などは世界観に忠実かつリアリティがあり、モンスターのサイズ感や質感は見事。キャラクターの表情はピクサーアニメーション感のある表現で「鳥山絵」らしさはないですが、悪いものではない(すぐに慣れます)。

・サラボナ編から結婚までの展開
- 原作とは大幅に展開が異なりますが(「2つのリングを持ってきた者に娘と天空の盾を授ける」から「魔獣ブオーンを討伐せし者に娘と天空の剣を授ける」になっている、などなど、例を挙げるとキリがない)、概ね原作の展開がうまくモダナイズされて改良されています。主人公によるプロポーズのシーンは必見。

(結婚後微ネタバレ)「坊や どんなに辛いことがあっても 負けちゃダメだよ」
- DQ5という物語を象徴すると言っても過言ではないシーンです。このシーンの展開にもアレンジが加えられていますが、原作の魅力を損なうことのない味付けがされています。個人的には一番の評価点。

・ビアンカとフローラ
- フローラさんは健気で、少しおっちょこちょいで、かわいらしく。ビアンカは勝ち気で、面倒見がよく、「ビアンカらしく」。両者の魅力が存分に引き出されています。
- フローラさんは幼少期に主人公とほんの一瞬出会った時から主人公に一目惚れで、主人公の側も再開時に一目でフローラさんに気付く…と設定が変更されていることや、ブオーン討伐前後におけるフローラさんとの会話シーンの追加なども、原作がかなりのビアンカ贔屓だったことを考えれば、両者の格差を埋める上で適切な変更だったと言えましょう。私自身が熱心なフローラさん派であることのバイアスはありません。一切。

・ゲマ
- 倒すべき悪役・仇敵としての役目を完璧にこなします。原作の憎たらしい口調が忠実に再現されており、映画オリジナルとなるセリフや行動も「ゲマはこういうことする」と納得のできるものとなっており、違和感はありません。

・ゴンズ
- 仮にも間接的とは言え父の仇の1人であるゴンズの影が(特にジャミと比べて)どうにも薄かった原作に比べゴンズの活躍の場面が増え、ジャミとゴンズでの扱いの格差は感じられないようになっています。

・BGM
- PS2版オーケストラ音源のBGMが原作通りの適切な箇所で効果的に使用されており、場面を盛り上げます。5以外の天空編である4と6からの選曲も一部含まれますが、異物感は一切ありません。5のBGMの中でもインパクトの強い曲であるボス曲を「ここぞ!」という見せ場まで引っ張った点など、使用場面に関しては最大の効果を引き出すために細心の注意が払われていることが見て取れます。

・バギクロス
- 実質的に主人公の「切り札」となるバギクロスの出番も、見せ場まで引っ張ります。演出に一見の価値あり。

・占いババ
- 出るとは思わなかった(キャスト一覧にもいないし)。そこそこ印象的な役を貰っています。




Cons
・20時間ボリュームの作品を100分に無理矢理詰め込んだことによる、ストーリー改変/キャラのオミット/設定変更、目まぐるしい展開
- 公式に公開されているキャスト一覧を見ただけで既プレイヤーなら必ず違和感を覚える部分だとは思いますが、実際のところ「ベラ」「ポワン様」「マリア」「ヨシュア」「ラインハット大后」「デール」「オジロン王」「イブール」あたりのキャラクターは登場しません。
- これは「幼少期のほぼ全て」「ヘンリー編(ラインハット編)」「パパスの手紙発見からサラボナまで」結婚からグランバニアまで」「エルヘブン~天空への塔から迷いの森まで」「魔界編」がplot relevantでない(筋書きに影響しない)とされ、大幅にカットされているからです。
- またその影響から、「(幼少期カットにより)妖精の国編と、妖精たちとの縁」「(幼少期カットにより)ビアンカのリボンとキラーパンサー」「(ラインハット編カットにより)滅ぼされるサンタローズ」「(グランバニアカットにより)主人公の即位」「(デモンズタワーとボブルの塔のカットにより)間接的な父の敵であるジャミとゴンズとの一騎打ち」などの要素がカットの憂き目にあっています。
- 同様の理由で、物語の舞台のほぼ全てが「サンタローズ」「サラボナ」「セントベレス山」となります。plot relevantなイベントのほぼ全てがこれらの地域での出来事としてストーリーが改変されています。
- 他にも細かい設定の改変を挙げると枚挙に暇がありません。原作のボリュームを考えれば仕方ないのですが、ここまで改変/カットした上でなお展開はかなりの駆け足で進み、詰め込み感はどうしても拭えません。

・(結婚後ネタバレ)王女のカット
- 王女のオミットに関しては今作のプロット改変に伴う変更点の中でも特に大きく肩を落とし首を傾げるばかりのポイントだったので、前項とは独立させて書きます。個人的には今作2番目の改悪点。しかも王女をオミットしたという事実そのものが今作のオチ、"テーマ"を台無しにしている理由の一つになっているという…(詳しくは後述)
- 仮に「ドラゴンクエスト5」という作品のプロットのみを客観的に見れば、確かに「王女の存在」というのはplot-relevantではない事象なのです。王女がいなくても「ドラゴンクエスト5」という物語は問題なく進行し、問題なく完結を迎えることでしょう。とはいえ、実際に「ドラゴンクエスト5」を(特にPS2リメイク以降のものを)プレイした人が、「王女は存在しなくてもいい(カットしてもいい)キャラ」と感じるだろうかというと、それはまずありえない話だろうと思います。少なくとも自分には信じられない

(結婚後ネタバレ)王子の名前
- 「アルス」です。「レックス」(PS2リメイク以降デフォルトネーム)でも「テン」(天空物語)でも「ティミー」(久美沙織小説版)でもなく。非カノンの名前を付けること自体はいいのですが、無数にある名前の中でなぜあえて7主人公のデフォルトネームである「アルス」を選んだのか、という判断が謎。

・特に理由のない、キャラクター人物像の改変
- 青年期になってなお主人公に対して「~であろう?」口調で居丈高に話し、何かと王子としての身分を嵩にかけるヘンリー、懐の広さのないルドマンさん主人公に対して「ですます調」の息子
- ヘンリーは、幼少期の寂しさ故にひねくれた悪ガキから、奴隷としての艱難辛苦とパパスに関する主人公への負い目から青年期には精神的に大きく成長し、主人公との間に深い友情を築く…というキャラクターです。今作ではそもそもラインハット編を描かない関係上、そこまでヘンリーに関して深く描く必要がない(→主人公との関わりの変化・友情を大きく描く必要がない)との判断からキャラクター像を改変した…という考え方もできるわけですが、それにしたってもっとこう他になにか出来ただろう…と。
- ラインハットを前にしてヘンリーと別れる際に「パパスさんのこと、すまなかった」という旨の自体発言はあるにはあるのですが、ヘンリーの人格に大差ないように感じられる以上、その発言に伴う感情の重みがまるで響かなくなってしまっています。
ルドマンさんは、そもそも結婚相手を2人のどちらかから選ぶ展開とならず、フローラとは結婚できない旨を主人公から告げるというストーリーの変更の煽りを受ける形となり、「けしからん!二度とその顔フローラに見せるな!」と激昂し、その上でなお天空の剣は快く譲ってくれるという「情緒不安定か?」と思わせてしまうような展開になってしまっています。原作では愛娘の結婚相手が別の女性と結婚することを許すばかりかその結婚式まで自主負担で開催する、流石に行き過ぎというほどに懐の広い人物として描かれていたことを考えると、それが「自己中心的な富豪のオッサン」のテンプレ的な、芸のないキャラクターと化してしまっているのは残念です
- 息子に関しては本当に一切不明。いや本当…なんで?

・一部声優の演技
- ものすごく「棒」だというわけではなく、些細な問題といえば些細な問題ですが、全く気にならないと言うと嘘になる、といったところ。

・(ストーリーの根幹に関わる重大なネタバレ、特に注意)ラストシーンのあまりにも、あまりにも蛇足な展開
- 最終的に物語は「原作におけるエビルマウンテン山頂でのゲマとの再戦を、大神殿のラマダ戦の場所で行う」という形で最終局面を迎え、一悶着あってゲマを討ち滅ぼしますが、最後の力を振り絞ったゲマが(エビルマウンテンでなく大神殿で封印されていた)マーサと"一体化"することにより、マーサしか知らない魔界の門を開くための呪文を唱えてしまいます
- 空に開かれた魔界への門を閉じるために王子は空に向かって天空の剣を投げ入れます。閉じられたかのように見えた魔界の門ですが、その瞬間にまるで一時停止ボタンを押したかのように、主人公以外の世界の全ての時間が止まります。止まった時間の中で1人残される主人公の元に空から降りてくる、ミルドラースとは似ても似つかない、仮面をつけた謎の人型存在。曰く、その存在は「ミルドラースのデータを乗っ取る形でこの世界に埋め込まれた、コンピュータウイルスのような存在」で、「自身の製作者の意図は、このまやかしの世界を破壊すること」だという
- ここで場面は青年がVRアミューズメント施設にて係員と会話するシーンへと転換。ここまで1時間超見てきたこの映画自体が、青年の体験する「VRドラゴンクエスト5」を追体験していたに過ぎないという事実が明かされます。その中で、青年がドラゴンクエスト5ファンであること、これまでのゲームプレイでは毎度ビアンカを選んでいたことを語り、また今回のVR体験にあたって「ロボットと戦ってみたいんですが、それは可能ですか」と注文を付け、係員にVRの設定を変更してもらっていたことが明らかになります(実際に映画中に、原作では本来登場しない場所・原作と関係ない流れで、メタルハンターx3とイベント戦闘になるシーンが存在します)
- 「なぜそこまで空想の世界に拘る」と、偽ミルドラース。「たとえゲームでも、ぼくの冒険は本当だった」と、青年。少年時代の青年がSFCでDQ5をプレイしているシーンの回想が入ります
- その後、あれこれあって(重要ではないので省略。劇場でご確認あれ!)偽ミルドラースを撃退する青年 = 主人公。物語はDQ5の本筋へと戻り、エンディングを迎えます
- 以上のラストシーンの展開があまりにも蛇足が過ぎる、DQ5ファンを/ゲーマーを軽視しすぎている。少なくとも、ゲームとインターネット以外に拠り所を見いだせない私のような人間からすれば、「ゲームはまやかしではない、ゲーム体験はかけがえのないものだ」などというのはもはや疑うことをすら考えないほどに至極当然のことであり、それをさも感動的なテーマであるかのように無理矢理に口に押し込まれるというのは、不愉快でしかありません。馬鹿にされている、下に見られているという風にしか感じられないのです
- 「この映画のメインターゲットはコアなDQ5ファン/コアゲーマーではなくライトゲーマー層に設定されており、この映画は not for you だったというだけのことだ」という考え方はできるでしょう。ですがこの改変は原作への侮辱にも近いものです。制作側の都合は、敬意のかけらもなしに原作を踏みにじることを正当化しません
- 王女のような重要キャラをオミットし、作品の設定を大幅に改変した…もしもそれだけであったなら「映画上の都合」と納得することもできたでしょう。ゲマを倒し、開かれた魔界の門を無事に再度封印し、ゲマとミルドラースの脅威を取り除くことに成功したところでハッピーエンド…ということであれば、多少の改変点には目を瞑ることもできたでしょう
- しかし、「この映画はVRである」「それを体験するのは『DQ5ファンを名乗る1人の青年』だ」という設定があるだけで、それも不可能になってしまっています。作中で、このVR体験=映画は仕様を自由に変更した上で体験できることが明かされています。そうであれば、この映画のストーリー展開や設定が原作とまるで異なっているのは、VR運営側か体験者の「1人の青年」がそのようにした、と考えるのが自然です。少なくともそのどちらかが「サンタローズは滅ぼされなくとも主人公のキャラ造形に影響はない」「主人公が王になる必要はない」「王女はDQ5に必要のないキャラクター」などと考えている、その上で「DQ5ファン」を名乗っていることにならざるを得ないのです。それがまかり通ると考えるというのは、制作側のDQ5/DQ5ファンへの軽視としか言いようがありません。
- このような展開を持ち出して「確かにゲームの世界は架空かもしれないが、ゲーム体験は本物の体験であって、かけがえのないものだ!」などというテーマを大々的に打ち出そうという考え自体、ビデオゲームに執着している人間からはまず出てこない発想です。ビデオゲームに脳を焼かれている人間にとって、「ゲーム体験は本物の体験である」などということは至極当然であるからです。このようなところからも制作側のビデオゲームそのものへの軽視が透けて見えるわけです。ビデオゲームを軽視する思想がなければ、ビデオゲームに執着している(少なくとも、そういうことになっている)人間に対して「大人になれ」と発言させようとはしないでしょう。DQ5を映画化したのはそのような思想を持つ制作陣であり、その制作陣がDQ5に便乗する形でDQ5とは全く無関係でかつ的外れのテーマを無理に押し付けてくる、その事実自体がこの上なく腹立たしいものなのです
- そもそもDQ5のストーリーの魅力を最大限に引き出すことを端から放棄し、ただ自分たちがやりたいだけの独自のテーマを勝手に盛り込んで「ホラ感動的だろ?DQ5なんかよりこっちのほうがいいだろ?」と言わんばかりの態度であるということ自体が、DQ5という物語に、DQ5のファンに対するこの上ない侮辱です
- 「ゲーム体験は嘘じゃない!かけがえのないものだ!」「この映画は『君自身のDQとの物語』だ!」をテーマとして大々的に掲げるのであれば、原作となったゲームを軽視し、制作上の都合から好き勝手に改変し、「かけがえのない思い出」を持つファンの気持ちを逆撫ですることが果たしてどういう意味を持つのか一度考えてほしかったところだ、というのが正直な感想です

4 件のコメント:

  1. 今日は四月馬鹿でしたね

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  2. ラストに関していろいろ思う事はあるでしょうが
    スクウェア・エニックスもあの内容に対して
    OKを出したという事は留意すべきでしょう。

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  3. このコメントはブログの管理者によって削除されました。

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  4. なぜアルスなのかはDQでは勇者の名前ネタとしてとてつもなく有名で汎用的だからじゃないの

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